ライオン像のある館」

         旧直江津銀行建物

            上越市中央3-7-31。

          関川河口西海岸船見公園

     市営無料駐車場利用可。

    蔵cafe沙羅さんはす向い。

  

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      長野宇平治氏
      長野宇平治氏

長野宇平治氏

 頚城郡高田の町役人長野家長女は、頚城郡直江津の中浜家二男を婿に迎え、 慶応3年9月長男として宇平治が生まれた。幼少時の宇平治が現上越市のどこに居住していたかは不明である。M26年帝国大学工科大学造家学科卒業。

 M27年奈良県嘱託。M30年日本銀行技師、M33年日銀大阪支店臨時建築部技師長、T元年台湾総督府嘱託

 T2年長野宇平治事務所開設。T4年工学博士。T6年日本建築士会初代会長就任。S2年日本銀行臨時建築部技師長、但し個人事務所は同郷の荒木孝平を残して存続させた。S13年日銀別館竣工を目前にして倒れ、12月71歳で没。高田寺町に埋葬。

  奈良県嘱託として、外形意匠の当初形式への復元と内部構造の強化改造を旨とする「奈良県仏寺修繕意見書」をM27年提出し、また、近代和風公共建築として奈良県庁(M28年)を設計し、高い評価を受けた。その後の古社寺の調査修理は同郷の関野貞が後任となり、自らはM30年より日銀技師として、辰野金吾の下で日銀支店建築に携わった他、民間の銀行建築の設計を行った。

 辰野(T8年没)・妻木頼黄(T5年没)らが没した後に、日本銀行・横浜正金銀行といった堅牢性が特に要求された国家的銀行建築の設計を託された。T6年日本建築士会(現在の日本建築家協会)の初代会長となる。和洋の古典建築に造詣が深く、また、建築における和唱洋随や美術主導を提唱した。関東大震災(T12)後のS2年日銀本店修増築に当たり、本館修理保存及び増築部設計を行った。

 長野は、重厚・厳粛・調和・均整を表現する意匠として近代における国家的公共建築の世界標準であった新古典主義について、日本における第一人者とみなされたが、日本銀行本店別館(S12)、広島支店(S11)、岡山支店(T11)、 大倉山記念館(S7)、台湾総統府(T元)等が現存建築である。旧日本銀行広島支店は、原爆爆心地から380mという 近距離にありながら、被災に耐えた堅固な造りであり、重要文化財指定が期待されている。なお、 和風建築における印象的な屋根意匠や、洋風建築における本格的な石彫装飾は、長野作品の特徴の一つである。               

 

 記述は 「新潟県人物百年史続頚城編、新潟県人物史研究会編、昭和43年、東京法令出版」 「日本の建築(明治大正昭和)3国家のデザイン、藤森照信著、S54年、学習研究出版社」 「東京大学コレクションXX関野貞アジア踏査、関野貞研究会編、H17年、東大総合研究博物館」等を参考・引用した。 写真は「建築学会、建築雑誌、昭和13年3月号」より(wiki) 引用した。

         大正・明治の中初期作品(日本建築学会所蔵写真データベース等より)